八幡平の歴史

八幡平の歴史の話をさせてください。八幡平の観光は再生とウェルビーイングの歴史であり、地域の観光振興がこれからの未来づくりにつながる話をしたいと思います。

古代

現在は十和田八幡平国立公園として指定されているこの地は、岩手山を象徴に豊かな自然に囲まれ、縄文人の祈りの場でもありました。古代には蝦夷と呼ばれる人々の拠点がありましたが、長らく森に覆われた神秘の土地でした。

幕末~東洋一の松尾鉱山がもたらした「雲上の楽園」

この八幡平が歴史の表舞台に出るのが幕末です。この地で発見された硫黄鉱山がやがて東洋一の松尾鉱山となり日本の近代化を支えることになります。そしてこの鉱山労働者13,000人が山の中腹に住み、最先端の住宅施設と充実した娯楽施設に囲まれて「雲上の楽園」と呼ばれました。この豊かな鉱山労働者が八幡平の登山やスキーなどの観光文化を生み出したのです。

衰退~閉山と衰退

然しながら石油化学の発展と共に重油から精製された硫黄が出回ると業績は悪化し、鉱山は1969年に閉山。流れ続ける強酸性の鉱廃水の中和処理の担い手がいなくなり、一時北上河の魚が死滅する環境問題に発展しました。これを岩手県と地域の人々が中和処理や植林による山の再生を進め、今もそれは続いています。

鉱山の技術がもたらした日本初の地熱発電所

一方で、鉱山の人材と技術が日本初の地熱発電所をこの地にもたらします。この地熱発電所は電気だけでなく、蒸気を地域に供給し、その蒸気を還元した温泉で八幡平リゾートが形成されました。また蒸気は農業や地熱蒸気染色などの工芸品づくりにも利用され、このように地熱蒸気が街づくりに密接にリンクした地域は世界に類を見ません。こうして地熱が循環するサステナブルなリゾートが形成されることになりました。

そして再生へ

その後、リクルート社が世界に誇れるリゾートとして安比高原スキー場を開業し、日本が歴史上一番勢いがあった時代に、一番勢いがあるスキー場となりました。ここにリゾートライフを夢見た人々がペンションや民宿を開業し、自然と共生したライフスタイルを実践していきます。 地熱が循環する八幡平や自然と共生するライフスタイルが、東日本大震災後に社会課題を解決したり、ウェルビーイングを追求する次世代の移住者を呼び込みました。殺処分される恐れのある競走馬を助ける為に、地熱で熟成させる馬糞堆肥から地熱で温度管理して育てたマッシュルームの収益を使うジオファーム八幡平や、地熱の電気と八幡平の名水金沢清水でつくるオーガニックビールで人と自然にやさしい世界を作ろうと考える暁ブルワリー、障碍者と共に地熱でバジルを育てるマヤサステナジー、千年前から馬を放牧して形成された中のまきばの草原風景と生態系の再生に挑む安比高原ふるさと倶楽部などが、観光とも連携しながら活躍しています。

八幡平のこれからと私たちの取り組み

松尾鉱山から始まった幸せのライフスタイルが、大きな環境負荷の危機に直面するも、地熱の循環で最先端を走り、それに共感した人々によって、昨今注目される「リジェネレイティブ(再生)」の取組です。それが現代的な意味でのウェルビーイングの実現につながっていきます。 八幡平DMOではサステナブルはもちろん、リジェネレイティブな観光地を目指し、こうした取組を応援し、多くの人々が活動に参加できるようなきっかけを作っていきたいと考えています。八幡平の宿に泊まり、八幡平で遊ぶことが、八幡平の自然に触れることになり、そこで感じて考えることが、個人、社会、地球のウェルビーイングにつながっていく、そんな観光地を作っていきたいと考えています。このサイトでは将来的にそうした体験や宿泊をご紹介できるようなウェブサイトを目指しています。